三日坊主
久しぶりにブログを開いて、最初の記事を読み返した。
三日坊主の性格がたった数記事しかないブログにて大公開されている。
自分は情けない。
お金がない。
妊娠したのでつわりで仕事に行けず、ニート状態。なのでお金がないと母親に話すと
「それは今までまともに就職せず貯金もせずフラフラしてたお前が悪い」と言われた。
そらそうだと思うだろう。
ここからの話は、「そんなの言い訳だ」「母親のせいにするな」など、色んな意見、沢山あるだろう。
でもアウトプットしたいので書いていく。
私は中学校受験するために、小学ニ年生くらいから塾に通わされていた。通ったとは言いたくない。なぜなら、通いたいとは言ったこともないし嫌だと言ってすぐに辞めさせてくれないことは7歳でじゅうぶん分かっていたからだ。
そして姉妹の中では一番テストの出来のよかった私は親に期待?されていた。
期待というより、なんだろう。
親は、私を偏差値の高い中学校に通わせたかったのだ。子どもが勉強できるというのはそんなに誇らしいものか。
残念ながら私は子どもはまだお腹の中ですいすい泳いでいるだけの状態なので、そんな気持ちはわからない。出産してからも分かるかどうかは分からないが。
そして小学五年生になると本格的に自分の行きたい中学校の体育祭やら学園祭やら行ったり、段々と志望校を絞っていく。
塾に行く意味をよくわかっていなかった私はやはり志望校など絞れるはずがない。
そして六年生になり、大体自分の偏差値が定まっていき、この辺の中学校がいいかなという目星はついてきた。
その中で、都会の学校、ミニスカートの制服に憧れた私は一つの学校に絞った。
もう人生で二度と受験はしたくないと思っていた私は、大学までエスカレーター式の学校を探していた。というか母親に勧められていた。しかし受験は本当にもうしたくなかったので、その意見は賛成だった。
そしてそこに入るために週5くらいで塾に通って勉強していたのだが夏のある日、母に言われた。
「大学の中でも、〇〇大学の方が絶対いいから今のところやめて△△中学にしなさい」
えーーーー。。。お母さん、もう六年生の夏なんですけど。私の今までの苦労と時間は何。
もちろん、嫌だと言った。
でも、ずっとずっと説得されて、もうあんまり覚えてないが私は根気負けしてしまって志望校を変えてしまった。
書くのが疲れてきた。
それで△△中学に無事合格したのだが、そこから〇〇大学を卒業するまで、自分の人生はクソだった。
スカートは膝下まである。ど田舎の学校。
全然楽しくない。
友達は好きだが、学校は大嫌いだった。
何度も辞めたいと言った。母親は、じゃぁ辞めて働けば?と言った。
私は何のために勉強してきたのか。今までが全部無駄になるのが嫌だったのと、学校を辞めた後自分はろくでもない人間になるのではないかと恐くて辞められなかった。
学校に行くしかなかった。
留年ギリギリで卒業し、大学に進学。
大学も大嫌いだった。
大学も行く気にならずサボりまくった。
そして就職はしなかった。
母親は、志望校を変えろと言った時、「〇〇大学の方が絶対いいところに就職できるから」と何回も言った。
小六の私に就職の何がわかるものか。もともと、就職するのが私の当たり前の人生なのか?もう決められてるの?それは。とすごく疑問があった。(当時は)
だから、就職は絶対にしなかった。
やはり文にしてもアホである。
反抗期が長すぎる。
でも私は就職して、ほらね、良かったでしょとか、母親の満足そうな顔はぜっっったいに見たくなかった。
こんな恨みがあって、文字通り就職せずフラフラしていたのだが、私はこれは全ての根源は小学六年生の時、母親が私の人生を決めたことにあるとまだ思っている。
もちろん私も、自分のせいだとは思っている。思っているのだが、やはり母親のせいだともまだ思っている。
たらればだが、私が本当の志望校に受かっていれば、中学高校とっても楽しかっただろう。
やはり、中学校から大学卒業まで、自分の人生ではない感じがしてならないのだ。
就職せずフラフラしてフラフラ働いていたのだが、そっちの方がよっぽど自分の人生だった。
お金がないのは…と言われたらいつも言い返したくなる。なのに言えない。
なぜなら自分のこの考えは少しおかしいと自覚しているからだ。
そしてそれを言ったところで、じゃぁお母さんに反対して本当に行きたい学校に行けばよかったやん
とか言われてみ?
小学生ってすごい子どもだよ?と。
親がまだ全てなところあるのに、そりゃないわ。と、また絶望してしまうのが恐いからだ。
自分的には10年も無駄にしてしまった。
これからどんな事があったとしてももう自分の人生は自分で決めるので、自分のケツは自分で拭きます。
なんか言いたいことがよくわからないが、一旦これで終わり。
また修正すらかも。
本日はここでさよなら。